昨日のドラフトの記事でこんなものがあった。
好きな選手・中里篤史。
僕も大ファンで応援していました。
しかし、現役通算2勝。
それでも僕は歴代最高の投手と言っても過言ではないと思っています。
・中里篤史とは・・・
・高校時代
春日部共栄高校で、夏の全国高等学校野球選手権埼玉大会では、初戦は5回コールドゲーム、すべてのアウトを三振で取る15奪三振の完全試合(参考記録)を達成。
決勝戦では浦和学院高校の坂元弥太郎と延長10回を投げ合うもサヨナラ負けを喫する。
高校生の右投手としてはトップクラスの評価を受け、2000年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから1位指名を受けて入団。
・中日時代
2001年、フレッシュオールスターゲームでは150km/hをマーク。
そして、プロ入り初登板。
その後・・・
2002年の春季キャンプ中に宿舎の階段で転倒しそうになり、
とっさに手すりをつかんだ際に脱臼。右肩関節唇および同関節包の損傷で、
投手生命が危ぶまれるほどの重傷を負った・・・。
2年間リハビリに努める。
2003年オフのトレーニング中にまたも右肩を故障。
翌2004年も一軍登板なしに終わった。
2005年、4年ぶりに一軍に昇格、10月1日の復帰初登板。
(・・・泣いた。)
最高148km/hを記録、1回を三者凡退(2三振)と好投。
リリーフでプロ初勝利を挙げた。
オフに背番号が70から18へ変更。
2006年8月に一軍へ復帰すると、自己最多の13試合に登板。
自己最速の152km/hをマーク。
日本シリーズでも登板。
日本ハム新庄剛志の現役最終打席で登板。
泣きながら打席に立つ新庄を直球勝負で三振に打ち取った。
2007年、バランスボールから落下し左肘骨折する怪我を負い、
一軍登板なしに終わった。
2008年、8年目にして初の開幕一軍入りを果たすが、5月初旬に二軍へ降格。
8月に一軍へ再昇格したが、期待されたセットアッパーの位置を確保できなかった。
2009年は5月31日に一軍昇格したものの登板わずか2試合、計4回1/3を3失点、防御率6.23。11月2日に戦力外通告を受けた。
同年11月11日に読売ジャイアンツへ移籍。
2010年7月17日に一軍登録され、前年と同じ2試合の登板だった。
2011年は、自身4年ぶり、移籍してから初の一軍登板なしに終わった。
11月15日に2度目の戦力外通告を受けて現役を引退。
引退後は巨人でスコアラーをしています。
以上、中里篤史投手の経歴です。通算2勝のピッチャーですが、
今でも伝説として語り継がれています。
中日ドラフト2位の森投手にも中里投手のように、
いや、それ以上の選手になるように頑張ってほしいです!!