ふぁうろぐ。

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ダビスタプレイ日記中心。他、雑多、興味あること全てつぶやく。

aikoに愛甲。


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たまたま「愛甲」というワードがトレンド入りしてて、何事かと検索したら、上記のツイッターの通り。

 

 

まず、大久保さん、めっちゃ好きです。高校の大先輩だし、大尊敬w

で、愛甲さんなんだけど、実はツイッターの相互フォロー関係にあるのですw

愛甲さんといえば、かつて甲子園で優勝投手となり一躍フィーバーに。

その後ロッテに入団し活躍、中日に移籍し優勝に貢献(←この頃に知る)したという選手。

 

ただ、いろいろ破天荒なエピソードがある。

(※以下wikiより抜粋)

人物・エピソード

高校時代は彫りの深い端正な顔立ちと野球の実力を兼ね備えたことから、特に女性の間で絶大な人気と知名度を誇った「甲子園のアイドル」だった一方、悪童としても知られた。中学時代から不良の道にも精を出し始め、タバコシンナー万引き暴走族など、悪いと言われることは全てやったという。愛甲に限らず不良は当時の愛甲の周囲において極めて多かったようであり、愛甲が中学1年生の頃、1学年で万引きをした生徒が170人も明らかになったと本人が語っている[1]横浜高校へは授業料免除の特待生で、寮生活の野球漬けのはずが、高校2年まではタバコ・女・シンナーをやっていた。しかし、3年の時に本気で甲子園での優勝を目指してタバコ以外は断った。高校時代のあだ名は「あんぱん」であったという[13]。高校卒業間際には暴行事件が発覚。愛甲はチームメイトや関係者らに謝罪したが、横浜高校はこの一件が原因で対外試合禁止処分を受け、春の大会に出場できなかった。甲子園優勝投手の暴行事件として写真週刊誌に愛甲が謝罪中の場面が掲載されたため反響を呼んだ。

愛甲が在学していた時期の横浜高校は後の愛甲自身の証言によると偏差値が30台前半と推測されるほど勉学に力が入っていない高校であったと語り、愛甲自身も「名前をきちんと書いただけでテストで5点が加算された」と体験談を語っている[1]

下宿先である渡辺元智監督宅の電話を毎晩夜遅くまで使い、そのために渡辺家の電話代は通常の何倍にもなってしまったが、当の渡辺監督は「それで愛甲が立ち直ってくれるなら」と、黙認していた。

当時の横浜高校野球部内でのイジメ、シゴキについて「他の学校は知らないけど、自分の時代は、1年生はゴミ、2年生は人間、3年生は神様だから[1]。周りには3年生から『コーラ買って来い』と言われ、平仮名で『せんえん』って書かれた紙キレを握りしめて買いに行ったヤツもいた。砂利の上に正座させられての説教なんて日常茶飯事。自分が入学する前の出来事だと、コーラの王冠を後輩の頭の上に乗せて、王冠目がけてシューズでパッカーンと殴る先輩もいた」と語る。当時の野球部のモットーは『根性とハッタリでは負けるな』。遠征試合の時は全員が“ドカン”っていう太いズボンをはいて行く。試合前の挨拶で両校が整列する時は『相手よりあとに集合して、相手が引き揚げるまで帰ってくるな。相手からは絶対に目を離すな』と言われていた[1]。余りの練習の辛さにバーベルを自らの足に落とし骨折させ練習を休む者、2階から飛び降りて両足を折り、練習を休もうとする人など、故意に怪我をする人間が多発したという。

当時の横浜高校では野球部に限らず他の部でも同様の行為が行われていたようであり、プロレス関連の書籍に収録されている2017年に行われた鈴木みのる横浜高校の6年後輩)との対談では愛甲本人が概して「掃除当番など正当な理由があったとしても、先輩よりも後から来た者は頭の上に熱々のカレーうどんを乗せられるなどの懲罰を受けた」と語っている。他にも「帰宅部の生徒が保健体育の授業の時間に粋がった態度を取っていたところ、教員がいきなり授業をボクシングに変更し、ボクシングの名目でその生徒を殴った」というエピソードを明かしている[1]

1980年春の甲子園での優勝後は、「優勝パレードの翌日にスナックで酒を飲んでたら、知り合いの社長が来て、一緒に堀之内ソープランドに行った。あの時は待合室にお姉さんたちが集まって、サイン会になった」という[1]。優勝後は学校内での扱いもそれまでとは一変し、「学校内での授業中に別室に呼び出されてお茶お菓子を出されて、色紙にサインを書かされ、なんならタバコも吸うかと言われた[1]」という状況も味わったという。

高校3年秋のドラフト会議前には、愛甲の獲得を希望する西武プリンスホテルの関係者から接触があった。小遣いとして毎回10万円をもらい、ソープでの接待なども受けたという[1]。社会人チームであるプリンスホテルからは異例の4000万円という支度金を提示されたが、愛甲は地元球団である横浜大洋ホエールズ入りを希望しており、ドラフト指名先が大洋でなければプリンスホテル入りと考えていた。ドラフト会議の結果、ロッテに1位指名されたが大洋を希望していた事もあり嫌な表情を浮かべ、ロッテ関係者が挨拶に来た日には女との先約があったのですっぽかしたそうである。

ロッテへの入団後はドラフト指名された瞬間とは違い、特に不満を述べることはなかった。名実ともに「ロッテの顔」となった打者転向後はファンサービスにも熱心であった。後に1990年のドラフト会議でその年の注目選手だった小池秀郎投手がロッテからの1位指名を拒否し(その後、松下電器を経て近鉄に入団。)、「ロッテにだけは行きたくない」と発言した話を聞くと「あんな風に公に批判をするもんじゃない。もし、僕が彼の先輩だったらぶん殴ってやりますよ」と憤った。

1989年は一時期、打率.330を超え首位打者争いをするなど絶好調だったが、シーズン終盤に調子が急落。打率も3割を下回りそうなスランプにあえいだが、ある試合でオリックス三塁手を務めていた松永浩美に「サードに転がせばヒットにしてやるよ」と言われたことをきっかけに内野安打で出塁。調子を取り戻し、3割を達成した。

ロッテが川崎球場から千葉マリンスタジアムに本拠地を移した1992年、2試合だけ川崎球場での公式戦が組まれた。愛甲はこのうち7月4日の近鉄戦で高村祐から本塁打を放ったが、その本塁打川崎球場におけるプロ野球一軍公式戦での最後に記録された本塁打となった。

ロッテ時代の応援歌にソルティー・シュガーの「走れコウタロー」が使われていた。

まだ球団名がロッテオリオンズだった川崎球場時代と、千葉移転初期のサンライズピンク(ロゴ、番号、ラインの色)のユニフォームだった頃に、一人だけ背番号の1が「下部に横棒の付いた1」であった(1995年よりその仕様が標準化。また同学年・プロ同期の秋山幸二も、背番号1だった時期に特例で同様の書体にしていた)。

夫人とはロッテ所属時代に国鉄横須賀線の車内で出会った。酔っ払いに絡まれ、偶然愛甲の隣の座席に逃げてきた現夫人に電話番号を書いた紙を渡したことをきっかけに、後日きた彼女からの返事で交際が始まった。

愛甲自身は、アルコールは全く飲まない[14]

1996年打撃用ヘルメットのフラップ(耳当て)が義務づけられた後も、特例規定で、フラップのないヘルメットを2000年の引退まで着用し続けた。

2009年8月、娘が千葉マリンスタジアムで売り子のアルバイトをしていることが報じられた。これは自らの著書でも触れられている。

 

薬物使用

週刊誌などで自らの薬物使用を何度も告白している(週刊現代2001年4月発売号、SPA!2008年発売号、週刊新潮2009年7月23日号)。それらによると、中日時代の1990年代末に体力の衰えをカバーするため、ホルモン剤の「アンドロステンジオン」を服用したという。薬を使ったトレーニングの効果として、すべての力、体力・持久力・精力が異常に強くなった。副作用に関しては「引退(2000年)の2年前から、激しい動悸が起きるようになったため量を減らした」「引退から3カ月ほど経ったころ、足が異様にむくんだりして、病院で『静脈血栓』と診断され、即入院を言い渡された」など、薬物の危険性を語っている。結果的に薬物の使用による副作用で故障がちとなり、選手寿命を縮めることになったが、著書では「後悔はしていない」とも述べている。

なお、自身が「プロテインを使用したトレーニングなど様々な肉体改造を模索した末、医師と相談した上でマーク・マグワイアと同じアンドロステンジオンを服用した」と語るように、当時の野球界はドーピングに対する禁止規定は無く、批判も少なかった(アンドロステンジオンは当時サプリメントとしてアメリカ国内で合法的に販売されていた)、自身もアナボリックステロイドの副作用や、陸上競技のスター選手・フローレンス・グリフィス=ジョイナーの急死事件を考慮するなど、当時の時代背景で認められる範囲の使用であったことも語っている。後にバルコ・スキャンダルなどを発端としてドーピングに対する目が厳しくなる中、「昔は認められたが現在は認められない行為」として自身の体験を引き合いにドーピングの危険性について警鐘を鳴らす機会も増えている。

 

(※以上、wikiより抜粋)

 

引退後、なかなか表舞台では使いにくい存在となってしまい「球界の野良犬」となっていたのだが、

たまたま見ていたニコ生で夏の甲子園の全試合の解説をしていて、めっちゃファンになった。

以下、愛甲さんのおすすめ動画。


甲子園優勝コンビ!愛甲猛・安西健二特別指導員|バッティング編 !SWBCJAPAN特別回

甲子園優勝投手で、打者に転向してプロでも外野とファースト、代打で活躍。

なかなかこんなにいろいろなポジションで活躍した選手はいないし、頂点に立った選手はいない。

その視点は目から鱗が落ちる預言者のように次のプレーが当たったりする。

そんな配信を見て、愛甲さんの本を買って読むまでになった。

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https://www.amazon.co.jp/%E7%90%83%E7%95%8C%E3%81%AE%E9%87%8E%E8%89%AF%E7%8A%AC-%E5%AE%9D%E5%B3%B6SUGOI%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%84%9B%E7%94%B2-%E7%8C%9B/dp/4796680861

 

そんな愛甲さん、ユーモアにあふれてて、面白いことならやる人って配信見てたらわかるんだけど、昔の怖いイメージ、ダークなイメージだった人たちが、昨日のaikoのご本人登場で地上波のゴールデンタイムでノリノリで歌ってたことに衝撃を受けたと思う。

 

今回のような登場に限らず、ぜひ、もっと野球解説等で活躍してほしいと、心から願っております。

 

ちなみに、愛甲さんのツイッターに出演の反応が未だにない。何をつぶやくか非常に気になる・・・。

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